タイトル: 美の浄土(柳宗悦コレクション 3)
著者:柳宗悦
紹介者:鈴木 美咲
内容紹介:(Amazonより)
たくさんの美しいものに触れ、もの作りの現場に足しげく通った柳は、美を生む上で人間の「自我」が大きな障壁になっていることを確信する。ではどうしたらそれを克服することができるのか…。自我からの解放を説く仏教に若き日から親しみ、苦悩しながらもの作りにたずさわる仲間を持つ柳は、その難しさを痛感していた。思案のさ中、彼の眼に『大無量寿経』の中の一節「無有好醜の願」が飛込む。もはや美醜などない、全てのものは既に救われている、とするその一文を手掛りに、柳はどんな作り手でも「無」の境地に至り、美しいものを生み出すことのできる道を編み出していく。
柳宗悦さんは美術家ですか?
そう。美術家というより美術評論家、思想家かな。
民藝って知ってる?
民芸品の「民芸」?
うん。柳さんは民藝っていう概念を打ち立てて、日本中の美しいものを集めていたりした人で。今「民藝」って言うといろんな伝統工芸とか民藝展とかをやってたりするけど、それを最初に作った人で。
民藝っていう言葉自体をつくった人?
そう、言葉自体を作った人。
へぇぇ。
日本中に埋もれた美しい伝統品を掘り出してきて紹介して。それで、今はその掘り出されたものが民藝っていう名前ですごい高値で売り買いされたりしてて。
はい。
柳宗悦が最初に言葉として生み出した「民藝」と、いま「 民藝 」として扱われているものが違う様な気がしていて。この柳宗悦コレクションって本は3冊あってその内の1冊なんだけど、この中に「美の浄土」っていうのがあって。
柳さんはそもそもは宗教学者なわけ。仏教を特に研究していて宗教の本もいっぱい出してるんだけど、ある日柳さんは朝鮮の陶器を見た時に「悟りの世界が物に表現されているじゃないか!」って気づいたわけ。
気づけるんだね?
そう。それで、悟りの世界は人間だけのものじゃなくて、物にもちゃんと悟りの世界が宿っているものがあるって。その視点で日本中歩いてそれが宿っているものを探し出したのね。
その「悟りが宿っているかどうか?」って、形が美しいとか技術が優れてるとかじゃなくて、もう直観で見るしかないって言ってて。でも宗教学者だから、直観とはどういうものか?っていうのも全部体系立ててまとめて「民藝」っていう言葉を作ったのね。
うん。
例えば、柳さんが漆塗りを見つけて「民藝」として紹介したんだけど、漆塗りの中にはもう「民藝」っていう概念から外れちゃっているものもあるわけ。
ありそう。
その「直感はどういうものか?」っていうのもいろんな本に書いてあるんだけど、この美の浄土っていうのは「そもそも人も物も、この世にあるものは全ておのずと美しくなるようにできている筈である」っていう前提に立っていて。
浄土っていうと天国みたいなイメージがあるけど、そこでは何をどうしても美しくなっちゃうっていう場所が存在していて、それについて書いてあるのね。
美しくなっちゃう?
簡単に説明すると、すごい天才とか技術がある人だけが美しいものを作れるわけじゃなくて「平凡な人でも条件が揃うとどうしても美しいものができちゃう」とかね、そういうことが書いてあるの。
これはなんかもうさ、たぶん東洋思想になるのかな?
悟りの世界っていうのはジャッジがない世界で、一元の世界っていうのね。
一元と二元に分かれてるんだけど、今の世の中は二元の世界で。二元っていうのは相対的な世界なんだけど、美しいモノ醜いモノとか、正しい正しくないとか、まぁなんでも相対的じゃない。価値観が。
正義と悪みたいな。
そうそうそう。
世の中の哲学的なものも「そこでの思考」が相対的な位置から考えられていたりするんだけど、 でも悟りの世界はその上の一元。二元に分かれる前の世界のもので。
そういう一元の世界が宿ってるものが、美しいものは美しいままに、醜いものも醜いままでそのまま美しく存在する。みたいな世界が悟りの世界なんだよね。
へぇ…?
ちょっと難しいけど、そういう事について書いてある本なの。
それを読んで美咲さんとしてはどこがひっかかったの?
私はね、一元の世界に行きたいって思うのね、自分が。
へぇー!悟りの。
悟りの。ジャッジの無い目で、クリアな目でものを見たいし。
ジャッジの無い目か…。
あとはやっぱり、民藝って言う言葉自体が独り歩きして、最初柳さんが発掘した伝統工芸品がもうブランドみたいな名前になっちゃって。そのブランドの名の元にぜんぜん一元の世界にいないようなものが民藝として売られてたり、逆に、すっごい高値で売り買いされてたりとか。そういうちょっと本末転倒な状況も結構あって。
そもそもそういう民藝って言う、一元の世界のものっていうのはさ、伝統工芸品に限らず実は「ほんとにそのへんにあるもの」だったりするわけで。
なんか、民藝って言う言葉をちゃんと理解出来たらブランド品みたいなものを持たなくてももっとみんな豊かになれるんじゃないかな?みたいな思いがあって、民藝って言葉を聞くたびにちょっともどかしい気持ちなる(笑)。
そうなんだ(笑)。
今日いろんな話を聞いてきたなかで、一番こう、美咲さんの方向性としての精神世界っぽいものが出てきた感じがあるね。
その「一元」っていう感覚って、その本を読んだらぼんやりイメージできるものなの?いま話を聞いただけだと、難しい。一元二元があって、ジャッジが無いっていう。ジャッジが無いものの見方っていうのが「ジャッジしかしていないな」て思って(笑)。
あはは、そうだね(笑)。
自分自身がジャッジしかしてないから、ジャッジをしないで何かモノゴトを見るなんて想像ができなくて。
確かにね。
そんなことができるのかな?と。
それこそさっき話してた「カワイイ」の概念と一緒じゃない?
何をしてもカワイイから、存在自体がカワイイから、それはなんかジャッジしないじゃない。自分の子供とかさ。「こういう嫌なことしたから嫌い」とかならないし。
なるほど。
なんか、悟りの、悟りっていうのは一般的には修行して輪廻転生を繰り返して最後悟りの世界にいける「一番上」って感じがするけど、実は今生きてる瞬間、瞬間で「ジャッジがない瞬間」っていうのは悟りの瞬間みたいなもので、その瞬間を増やしていくみたいな感覚なんだよね。
そのジャッジがない状態で見ればものの美しさも分かる、っていうのをちゃんと文章にまとめてるの。
へぇぇ。柳さん自身は自分で「ジャッジの無い見方」っていうのをどうやって身に付けていったのか、ていうのも書いてあるの?
そこはね、そんなに書いてないんだけど、柳さんと一緒に活動してた人によると柳さんはそもそも直観力がすごかったって(笑)。
そもそもね(笑)。そんな感じはするよね。そういうその、審美眼みたいなものって持って生まれたものもあるよね?
そうそう。
だけど柳さんがどうしてこうやって体系立てようと思ったかっていうとさ、いろんな作家がいて、まぁ作家ごとに良いもの悪いものっていうのがあるじゃない。
でも、柳さんが日本だけじゃなくて世界中旅して美しいものを探してる中でさ、ペルーとかアンデスの方とか沖縄の伝統的な織物とかを見た時に、そこで作られていたものはさ、だれがどう作っても美しいわけ。
作家モノでもないし、織ってる人がすごいこだわってるわけでもないのに、どうしたって美しいものしか生まれない。
それはなぜか?っていうのを考えてまとめたのが「美の浄土」なの。
すごいね。誰がどうつくっても美しくなっちゃう。
だから人が頑張って悟ろうみたいなことをしなくても、そもそも人は美しいものを作れるようにできてるし、物も美しくなるようになってる。
でもそれを邪魔してるのが、自我だったり余計なもの。余計なものが入っちゃってるだけだから、それをとれば美しくなっちゃうんだよ、みたいな。
なるほど。
まぁ理想論かもしれないけど、仏教の世界とかはそういう世界だから。
なんか、この本に関する直接の話じゃないかもしれないんですけど、そういう「悟り」とかに関してぼんやりと考えていることがあって。
例えばブッダだったら「生きてることっていうのは全部苦しみやで」とかって話からあるじゃないですか。それで、そういう煩悩みたいなものをいかに捨てていくか?みたいな事があると思うんですけど。
自分は「煩悩だらけの人間て愛おしいよね」っていう気持ちがあるんですね。なんかみんなが悟っちゃって煩悩捨て去ってしまったら、 そこはまぁ浄土みたいなところになると思うんですけど、自分は「それ楽しいのかな?」って思ったりして。
楽しいか楽しくないか、を判断すること自体もジャッジの話なのかなと思ったりもするんですけど、人間の浅ましいところとか、ずるいところとか、汚いところとかも含めて自分はそれを「カワイイ」と思ってるんです。
うん、それって悟ってるんじゃない(笑)?
(笑)
なんかこう、そういう「はぁ、ほんとどうしようもないな」「あぁ人間ってなんて浅ましいんだろうな」みたいなことも含めてその存在自体がカワイイと思うから、自分がそういう「悟る方向」に行きたい気持ちがあるかっていうと、無いんですよ。
それを目指すのがあるのは分かってる。でも、自分は人間としてのいやらしさみたいなものを持ち続けたいって思ってて。なんかそういうのってどうですか?
なんかね、感覚的な話なんだけど、人間の浅ましさも含めて愛しいみたいな俯瞰して見てる自分と、苦しんでる自分と両方いるなと思っていて。
はい。
私もさ、悟った人間になりたいって思ってるわけじゃなくて。いろいろ楽しみたいし、揉まれたいし、苦しみたいって思ってるから。それも人間として楽しみつつ、ちょっと俯瞰してる視点も欲しいな、みたいな。
なるほどね。
俯瞰だけしてたらやっぱり面白くないよね。
そうだね。
どっちにしろ悟るときは死ぬときかなって(笑)。
でもやっぱり、渋谷の街中のどぎつい看板だったりとか明らかに美しくないだろってものが溢れすぎてる時にこれを読むとほっとするっていうか、救いがあるっていうか。
立川談志さんが「落語とは人間の業の肯定である」っていう話をしたっていう有名な話があるけど、落語ってこう出てくる人たちがだいたいちょっとズルしたり、ちょろまかそうとしたり、ずるがしこいことするんですよ。
そういう行為がきっかけで変なことに巻き込まれていくんだけど、そういう「滑稽さ」みたいなものを一切合切ぜんぶ含めて「笑いでくるむ」みたいなところがあって。
なんか、自分はその考え方がすごいしっくりきていて。やっぱりその、人間て滑稽じゃないですか。いろんなたいしたことじゃないことで悩んだりとか、ぶつかったり、苦しんだり、ずるいことをしてたりして。
でも、それも含めて、人間っていうのは業を背負ってるもので、その業を背負ってるところも含めて笑いにくるんで「いいんだよ」みたいなことってなんかすごいなって。
そうだね。それこそジャッジしないでそのまま受け入れる、っていうのだと美の基準と同じだよね。
そうだね。
滑稽なのがやだとか、こういう方がいいとか、ジャッジが入ると苦しみが始まるっていうか。
うん。なんか、こういう話もそうだし、いろんな話がけっこう繋がってたりするじゃないですか。いろいろ言い方を変えてたりとか、表現する場所が変わってたりするけど、なんかこう結局は「”ココ”の話」に繋がってるていうことはある気がしていて。
そうだね。
でも、今聞いたような話は考えたことなかったですね。悟りみたいなものが物に現れてることに気づいた人がいて、それを民藝という概念として一つにまとめた人がいたんですね。
うん、いたんです。
東大のすぐそばに日本民藝館っていうところがあるんだけど、柳さんの住んでたお家の向かいあって。そこに日本中から集めたものが展示されてるんだけど、よく分からないけどなんかそれぞれすごい存在感なわけ。
よく分からないけどすごい!っていうのを「こうこうこうだからすごい」ってちゃんとまとめてるのがすごいなって思ってる(笑)。
へぇ(笑)。それはちゃんと言葉で説明してるんだ?
そう。それこそ、一元の世界に留まっているものだからすごくて、一元の世界って言うのはこういうもので…、っていうのをいろんな角度から言ってるんだよね。
なんで人が美しいものに惹かれるのか?って言ったらやっぱり「もともと美しいものだからそこに帰りたい」とかさ、そういう「家に帰りたい」みたいな欲求があるのかな?って思うんだよね。
面白いね。人はもともと美しいとか、美しいものを作れるんだ、みたいな肯定的なところからスタートするんだね。
お話しを伺った感想を少しだけ:
美咲さんの本の紹介も5冊目。だんだんと精神世界の話が深まってきました。「8冊だけ大切な本を紹介してください」というとその人が人生を通してどう変化してきたのか?が見えてくる感じがあって面白いですね。
話を聞いただけでは「ジャッジの無い目」とか「一元、二元」という初めて触れた世界観を理解するのは難しかったんですが、 柳宗悦さんという方が「真理(それ以外の表現が思いつきません)」に近づいた人で、しかもそれを言葉でまとめる事ができた非常に稀有な存在だったんだな、ということは分かった気がします。
いつかじっくり「一元、二元の世界」に向き合ってみたいです。
鈴木美咲さんが紹介してくれた大切な本の一覧はこちら
1,「銀河鉄道の夜」
2,「旅をする木」
3,「ユルスナールの靴」
4,「バルザックと小さな中国のお針子」
5,「美の浄土」
6,「引き寄せの法則-エイブラハムとの対話-」
7,「ゾクチェンの教え」