タイトル: バルザックと小さな中国のお針子
著者:ダイ・シージエ
紹介者:鈴木 美咲
内容紹介:(Amazonより)
医者を親に持つ僕と羅は、反革命分子の子として山奥で再教育を受けることになった。厳しい労働にもめげず、僕らは仕立屋の美しい娘に恋をした。僕らは禁書のバルザックを手に入れ、その小説世界に夢中になった。親友の羅はバルザックの語る壮大な冒険を、哀しい恋の物語を娘に読み聞かせ、ふたりは親密になっていくが…。文化大革命の嵐が吹き荒れる中国を舞台に、在仏中国人作家がみずからの体験をもとに綴る青春小説。
この本はいままでの感じと流れがちょっと違うね。
そうだね。映画は観たんだよね?
うん。
映画の監督と同じ人なんだけど、この本を最初に書いてそれを自分で映画化したやつで。
映画だと恋物語の方にスポットがあたってるんだけど、文化大革命の時に、再教育として「文化」が一切ない山奥に送られた少年二人が、バルザックの書いた一冊の本に出会うの。
何もない田舎でその本の内容を少女に読みきかせてる間に、その少女の人生も変えちゃうっていう話で。なんか半分自伝的な話らしいんだけどね。
そうなんだ。
なんにもないところで一冊の本に出会った時の衝撃ってすごいだろうなって。
すごそう。
ほんとにさ、喉からからのときの一杯の水みたいな。
だからさ、私はバルザック自体は読んだことはないんだけど、別にバルザックじゃなくても人生を変えちゃうくらいの力は持ってるのかもしれない。
いっぱい本がある中で、けっこう乱読しちゃうけど、これくらい本と向き合ったことがあるだろうか?って(笑)。
そうだね。たくさんの情報に日々触れるのが当たり前になってるから、そういう仕事をしているし、 それのこう「ちゃんとよく噛んでない感」ってあると思うんだよね。
そうだよね。
よくこういう話するけど、例えば音楽とかも自分でお小遣い貯めて買ったCDだったらさ、最初はあんまりピンと来なかったとしても、やっぱり3000円出して買ってるから。
泣けなしの3000円(笑)。
そういう意味での「消費」じゃない向き合い方、みたいなのは考えますね。
いっぱい本がある中で「これ面白い!」って出会うこともあるけど、逆に、何にもない中でその本を読んだら「面白い」って思わなかったかもしれないな、とか。
なんか、まっさらな状態で本と出会えるっていいなって。
あぁ、そうだね。
山奥に行ったらファンタジーとか物語の本を読みたくなるだろうし、都会にいたら自然の豊かさとか。なんかいる場所によって惹かれる本も違うだろうなって。
あんまり考えたことなかった。
田舎に住んでて「田舎暮らしの本」とか嫌じゃない(笑)。
確かにね (笑)。
さっきの話でも「池袋に向かう電車の中でくじらがバーン!」だったからこそ、そこの衝撃がね。差が。満員電車の話とか書いてあっても「満員電車しんどいよね」ってなるだけだろうし(笑)。
そうだね。そういうのもあるし、この本に出てくる主人公がバイオリン弾くシーンだったり、連れて行かれた山奥の村長が初めて時計を見て「時計を神様のように崇める」みたいな小話も面白くて 。
映画だと恋が強調されて、っていう話があったけど本で読んだら全然印象ちがうの?
私は本を読んでから映画を観たから。映画はほんとに恋の話が多くて、 本を読んだ時は恋の話はそんなに印象に残らなかったんだよね 。
そうなんだ。
最後、初めて文学みたいな「文化」を知った少女が、小さい村のお針子だった子が、村を出て行っちゃうっていうので終わるから。それってなんかさ、人生が変わっちゃうってところがけっこう印象に残ってるかな。
そうだね。いろんな影響があるけど、今まで読んだ本だったり、漫画、音楽、映画とか、そういう文化的なものが自分のどこかの部分を作っていると思っていて。
そのきっかけみたいなのが「大きくドーン!」と変化させるものじゃなくても、ちょっとだけ方向が変わったり、流れが強くなったり。
そうだね。変わろうと思っても変わらないし。でも、なんか本読んで一回「はっ!」としちゃったら「はっ!」とする前には戻れないじゃん。
少しずつ変わっていって、というよりは「はっ」とした瞬間に切り替わる感じなのかな? それは感覚として自分とはタイプが違うなと思って 。
違う?
自分の場合は「はっ」としたってことを覚えてられないんです。まず「はっ」として、だけど「はっ」としたことを忘れるんです。変わらない自分が強いんですよね。
そうだね。
あんまり変わらないんです。20代の時アメリカに2年半留学していて、その間1度も日本に戻らず、2年半振りに帰ってきて久しぶりに友達に会っても「全然変わらないね」「アメリカナイズされてないね」みたいな感じでした。
あはは (笑) 。すごいね。
あんまり変わらないんですけど、そういう「はっ」としたことは、じわじわ効いてるんです。だから「はっ」として「自分が切り替わる」みたいなのは感じとして違うんですよね。
性格とか人間そのものは変わらないんだけど「ひとつ回路が開ける」みたいなさ、そんな感じかな?
あぁ、そういう。見方とか。
数時間とかで読めちゃう本の中に、書いた人が「人生を通してやっと気づけたこと」みたいなものが詰まってたりするじゃないですか。それってやっぱりすごいよね。
すごいよね。
そういう本を読んだ時に「なるほど…!」と感動する気持ちもあるけど、それを本当の意味で理解するにはやっぱり「体験」しないと理解できなくて。
そうねぇ。
以前友人と「車輪の再発明」の話をしてたんです。皆が当たり前のように車に乗っている時代に、すごく外の世界と隔絶された村があって、その村に住んでる天才少年がいろんなことを自分で考えて、突き詰めて、その結果ついに車輪を作り上げて「すごい発明でしょ!」って。でも、その隔絶された村を出たら皆が車に乗ってるの。
それをしないために人は勉強するじゃないですか 。
うん。
そういうふうに思いながら本を読んでると、先人が長い苦悩とか探求の末に辿り着いた「人生のポイントはここやで」みたいなのが書いてあって。
「ここなんやでぇ」みたいな。
それを読んで「なるほどぉ」とは思うんだけど、でも本当にそれを理解できるのは、先人と同じようなことを体験して「はぁ、たしかにここやな」ってならないとしっくりこなくて。
そうだね(笑)。
そんな話を友人としたのを思い出しました。結局体験しないと真に理解できないというか。よく言うじゃないですか、自分の先輩とか年上の人たちが「こういうのが大事だぞ」「今こういうことやっといた方がいいぞ」て 。
あぁ、分からないよね。
そう、そのときは全然ピンとこなくて「なんか言ってんなぁ」くらいで。でも、大人になって振り返ってみたら「たしかに!」って(笑)。
あはは(笑)。「たしかにそうだわ!」って思うよね。後から分かる。「それは私でも言うわ」って。
そうそう。「ここが大事なんだぞ」みたいなこと言われて。
でもさ、これをずっと繰り返してるじゃない。人類はこれをずっと繰り返してるわけですよ。
それこそ古代ギリシャの哲学者みたいな人たちが考えた「ここやで」が本当に「ここやで」として完成されていたりすると思うんです。けっこうな意味で。
それをいろんな人が何度も別の形で「ここだったんやで」って繰り返してる。
あはは(笑)。
例えばビートルズが音楽という形にして「ここやで」って言ってる。だけどそこで言おうとしていることって結局、ずーと昔からいろんな人が言ってる「人、人生、命、時間、愛」みたいな普遍的なテーマの「ここやで」と一緒で。
みんな「はっ、ここなんや!」って気づいて「ここやで」って言ってるのを繰り返してるのかな?って。
繰り返すよね。かわってないもんね。
そうなんだよね。結局時代が変わっても、もちろんいろんな細かい部分は変わっても「人が生きて死ぬ」みたいな普遍的なことって変わらないし。そんなことを思ったりします。
お話しを伺った感想を少しだけ:
美咲さんが使っていた「 喉からからのときの一杯の水 」という表現がすごくしっくりきたのですが、「本」でも「人」でも、それに触れたときにどんな影響を受けるか?って、確かに自分の中になにが入ってるのか?で変わってくるよなぁと考えさせられました。映画とは本では印象がかなり違うようなので、それを比べてみるのも楽しそうです。
鈴木美咲さんが紹介してくれた大切な本の一覧はこちら
1,「銀河鉄道の夜」
2,「旅をする木」
3,「ユルスナールの靴」
4,「バルザックと小さな中国のお針子」
5,「美の浄土」
6,「引き寄せの法則-エイブラハムとの対話-」
7,「ゾクチェンの教え」