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平井さんが高校生位ぐらいの時は、フォークソングがブームの頃ですか?
そうそうまさに。猫も杓子もフォークブーム。
その頃一番人気あったバンドは?
海外のバンドのコピーバンドをやったりとか。吉田拓郎とかはもう少しあとで。
ビートルズっていつくらいなんですか?
ビートルズはもうちょっと前からあって、僕よりちょっと上の世代から始まってますね。団塊の世代の人たち。 知らないわけじゃないけどね。
僕は叔父がいて、叔父が高校生くらいの時に僕が小学生で、その時に叔父がビートルズ聞いてましたから。知ってることは知ってましたよ。
高校生の頃は音楽ばっかりですか?
うん、3年間それしかやってなかったから。
そうなんですね(笑)。
もう学校のカバンよりもギターケース持って歩いてたしね。意外とハマるとハマっちゃう人なんだよね。
あぁ、でもそうですよね。小田原の歴史の研究とかもやっぱり凝り性というか。
そう。ハマるとハマってちゃうんだよね。
やらないと気が済まないというか。それは不思議だよ。なんでなんだろうね。まぁ、諦めも早いんですけど。うちの家族は、子供がみんなそうだね。
お子さんもそうなんですね?
うん、なんか始めちゃうと辞めない人たちが多くて。かみさんが「なんか辞めるって誰も言わないんだよね。」って。ふつう、途中でやだとか、辞めたいとか言うと思うんだけど、誰も言わないって。逆に心配したりして。そういう血があるのかもしれない。
面白いですね。凝り性の血。
ちょっと話が変わるんですけど、平井さんくらいの世代の方ってお父さんとか怖かったりするんですか?
親父は怖いですね。あんまり怒られた記憶はないんだけど、母親との接点が濃いですよね、やっぱり。親父はサラリーマンだったから。あの時代酔っぱらって帰ってくることが多い。
うちの親父のんべえだったから酔って帰ってくるのがすごい嫌で。だから僕はいまだにあんまりお酒飲まないんだけど。
よく、ぐでんぐでんになって帰って来て。それを見ながら「なんか嫌だな」って嫌悪感があった。まぁ、自分の家の塀に顔こすりつけて血だけになって帰ってきたりとかするような人ですから。
けっこう飲まれて。
サラリーマンの付き合いでね。
僕はね、親父は正直言ってものすごい尊敬してて。いっとき親父を超えようと思ってね。今思えば越えられないね。
そういうものなんですね。
たいしたもんだね。素晴らしいよ。
あの時代の人で、昭和2年生まれの人ですから、ちょうど18歳くらいが終戦でしょ。もうちょっと早く生まれていたら戦争行ってた時代の世代で。まぁ、眼が悪かったから徴兵検査したけどダメだったみたいで。
親父の家はけっこう貧乏だったんで。兄弟も多いし。じいさんも苦労人でいろんな商売して失敗して。最後は保険屋さん。損害保険の社長やったりしてたんですけど。
はい。
まぁ、兄弟が多いんで、みんな当然いい学校なんか行かれない。自分で働きながら横浜まで夜学通ったりとかしていて、若い時から仕事もしつつだから、親父の口癖は 「いい学校いってなきゃだめだ」 って。
自分が会社に入って、学歴がある人が出世していくっていう世界にいたからね。
やっぱり六大学出た人たちが会社に入って出世していくし。そういう時代だから。まぁ、それでも最後は役員までやって辞めてるんで頑張ったと思うんですよね。
それはすごいですね。
そういう意味で偉いなって。やっぱ、ものすごい。
僕が年とってからカミさんが言うんだけど「お父さん優しいよ本当に」って。なんですかね?準備がいいっていうか。
準備がいい?
いろんなこと見越してちゃんと準備してあるっていうか。それはお袋よりあったんじゃないかな?親父の方が。
仕事ができる人間の秘訣ですね。準備がいい。
準備がいいし、僕のこともすごく可愛がってくれるし。偉い親父でしたね。
なんかあれですね。私から見たら平井さんは素敵な大人じゃないですか。そういうふうな方から「親父は越えられないな」みたいな話を聞けるのはいいですね。
そうか(笑)。
僕昔あの、「ルーツ」っていうテレビ番組があったんだけど知ってる?
ルーツ?
アメリカのドラマで。黒人の話で、ようは自分のルーツがどうなっているのか?っていうのを辿っていくとアフリカまでいっちゃう。
そのルーツって一時流行ってたんですよ。ルーツっていう言葉自体も。
僕はやっぱり自分の先祖ってものにすごい興味があって。自分が今こういうことしてて。じいさんがいて。
ちょこちょこ寺に行ったりするようになると、そのへんの先祖のことを知りたくなって。そこちょっとハマった。そのへんもね、繋がってくるんですよね。
なるほど。
じいさんが生きてる間に聞かなきゃと思って一所懸命ヒアリングしたことあるの。「爺さんの兄弟はなんて名前?」とか(笑)。「その人今はどうしてんの?」とかね。そんなことしたことあるね。
うち先祖書ってのがあるんですよ。江戸時代のね。まぁ当然昔の文字で書いてるから読めないんで、知り合いの古物商人に翻訳して貰ったりして。
平井さんのご先祖様は何してたんですか?
侍なんですよ。
そうなんですね!
侍っていっても足軽なんです。五石二人扶持のペーペーなんです。郡組って言って、殿様の荷物みたいなのを運ぶような人たちで。山王小学校の近くに長屋があって。郡長屋っていうところに住んでたらしいって。
けっこう具体的に分かってるんですね。
そうそう。「郡組ってなにやるところ?」っていったら、荷物運ぶところって。ほら、参勤交代の時に荷物運ぶじゃない。そんな仕事してたんだなって。
面白い。
先祖返りがずっとあるんだけど、やたらと養子が多い。なんですかね。あの時代、株売っちゃうのかね。
昔だとけっこう婿養子貰ってきて結婚してとかありますよね。
子供がいるんだろうに。なんか分からないんだけど、中には長男がいるのにわざわざ家を別の人に。あれ、売ってんじゃないかな?食っていけなくて。武士の株売っちゃうみたいな。
寺子屋の先生やってたような人が婿に入ってとか。不思議な時代だよね、江戸時代って。子どもがやっぱり育たないのもあるのかもしれないけど。ちょっとね、あれは不思議だった。全然昔から直系で繋がっているわけじゃない。
そうなんですね。
たぶん皆そうなんだよね。先祖書、一番初めは千葉の佐倉からお子さんと一緒に小田原に入ってきたというところから始まっているの。
たぶん佐倉に行けば何かあるんですよね。「その先分からず」って書いてあるので。大久保氏ってね、一代目、二代目の時に官役になって。そのあと日本中点々とするんですよ。
70年くらい経って、千葉の佐倉の城主から小田原の城主に戻ってくるの。その時に僕の先祖もくっついてくるんですよ。
なんか、さすがですね(笑)。
そこまで深く自分のルーツを調べてるとは。
お話しを伺った感想を少しだけ:
前回の記事で「平井さんインタビュー、次回は「青年期編」へと続きます。(7月中に公開予定)」と書いておきながら、もう10月。 「遅々として進まない」とはこの事ですね。
「青年期編」と言いながら、そこまで全然辿り着いていないのですが、今回の記事では平井さんが歴史に興味を持ったきっかけの部分を聞くことができました。「凝り性」って素敵な性質ですよね。気になったことを分からないママにしておかず、自分の足を使って調べていく。
そういう地に足の着いた探求心、好奇心みたいなものが、平井さんと会ってお話した時に感じる「安心感、ワクワク感」に繋がっているような気がしました。
次回はなるべく早めに「高校生~大学生」くらいのお話をまとめたいです。大学闘争とか、喫茶業に関わり始めた頃の平井さんのお話。面白いんですよね。