クラウドファンディングにADDressの管理人。若者よりも的確に「今」を捉えて生きる平井丈夫さんが、昭和30年代、東京タワーができた時や初めて家に白黒テレビがやってきた頃の話をしてくれました。

About


名前: 平井 丈夫 (ひらい たけお)
職業: 喫茶業
年齢:60代
性別:男性

好きな事:
まち歩き

「本って面白いな!」と思った最初の体験、きっかけ:
小田原近代百年史で老舗の歴史や人物を知ったときはとても興奮しました。

平井さんが関わっていること:
ケントスコーヒー(喫茶店)の運営
小田原まちセッションズ代表
小田原ゆかりの路面電車里帰りプロジェクト
ADDress小田原の管理人

Interview

平井さん、こんにちわ。
今日はよろしくお願いします。

よろしくお願いします。

平井さんに本を紹介して頂くにあたって、まずは、本当にいろんなことをやっている平井さんがどういう方なのかな?とか、どんな人生を歩んできたのか?ということに興味がありまして、そのあたりからお話聞かせて下さい。

このまえ少しだけお話を聞いて、確か、最初から喫茶店をやっていて会社員をやったことが無いというお話をされてましたよね?

うん、一年だけ勤めましたよ、サラリーマン。

おぉ、そうだったんですね。

一年間だけあるんです。 学校を出てから一年だけ。

大学を卒業して?

そう。一年就職しました。旅館、ホテルに勤めました。
だからまあ、一年研修みたいなものであちこち回されて、大卒で二人しか入れなかったので、まぁ、営業以外はやらされましたね。フロントやったりとか、レストランやったりとか。

一年間でいろんな経験をしたんですね。

いろいろ回されて。それでやめちゃったの(笑)。

こんなにいろんなところ行きたくねぇって?

いや、そういうわけじゃないですけど、たまたま知り合いが「みんなで店やろう」って話になっちゃて。僕、アルバイトが長かったんですよ。

学生時代に、休みのたびにアルバイトをしていて。喫茶業をやっていたので、その時の知り合いから声をかけられて。その喫茶店のマネージャークラスが「ちょっと独立するんだけど平井君も一緒にやる?」て言うから「 やるやる 」って、のっちゃったんです(笑)。

あはは(笑)

それが運のつきで。こうなっちゃった。

全然運のつきじゃないじゃないですか(笑)。

だから最初、4人で喫茶店を始めて。今でも喫茶業をやっているのは僕くらいしかいないんですけど。ほとんどみんな引退して。

なるほどぉ。あれ、平井さんはもともと小田原の出身なんでしたっけ?

小田原生まれ小田原育ち。

小田原生まれ、小田原育ち。60代。

65。もうすぐ66才。

いいなぁ。
友達の親とかが定年で退職して、そのあとの引退生活って、時間を持て余して困っている人がいるのを知ってるから。
平井さんみたいに、60代で「クラウドファンディングやってみよう!」とはならないですよね。

こんな馬鹿いないって?

いやぁ、あんまりいないと思います(笑)。

60年前だと、小田原も今の感じとはだいぶ違うと思うんですが、平井さんが小さい頃、小学生の頃とか、そういう時の記憶にある小田原の風景ってありますか?

そうだね、やっぱり海が全然違うかな。浜も海岸も。
ちょうどこの時期になるとほとんど毎日プールに行ってて、小学生のときの夏休みは海水パンツ一丁で、あとはバスタオルしか持ってかないような。平気で国道渡って海まで行ってたっていうのがあった。

僕、南町の方なんで、バスタオルだけ肩にかけて海水パンツでビーチサンダル履いて平気で国道渡って、プール行って。濡れたままプールから帰ってくる(笑)。
(小田原には海のすぐ近くに「御幸の浜プール」という施設があります。)

夏休み、子どもたちの日常の風景。

それが普通でしたね。

そのころは商店街とかもかなり賑わってるんですか?

うん。国道一号線沿いに観光バスが2~3台止まって、人が沢山降りてきて買い物して帰ったりしてたね。まだドライブインが無い時代ですよ。

東京の方から観光で来るんですか?

そうそう。社員旅行とかで来てるような。

僕が昭和28年生まれで、物心ついたときは昭和30年代じゃない。39年がオリンピックだし、オリンピック、小学校5年生の時だから見てるし。やっぱりあの頃からすごい変わっていくじゃないですか。

オリンピック!
そりゃあそうですよね。

車も増えてくるし。モータリゼーションも広がっていくし。家庭でいろんなものがこう、豊かになっていって。テレビがきたり、車がきたりとか。

まぁ、自家用車なんて持ってる人まずいなかったのが「えぇ、あのうち車買ったらしいよ!」って。

それは小学生ぐらいの時ですか?

小学生くらいだね。見に行ったりして。

へぇー。「でけぇ、車!」って感じですか?

そういう時代。何もない時代から始まってるんで。電話だって無かったからね。

電話も無いんですね。

各家庭に無いの。だからうちの家はご近所の中ではけっこう早くて。 家に電話きた時には「呼び出し」っていうのやってたんですよ。

呼び出し?

周りの家の。となり石川さん、むかいが井上さんなんですよ。うちに電話かかってくるの。

おぉ!

「石川さんでんわー!」って声かけて。「はーい!」ってうちまで電話取りにくるの。

それはすごいですね。映画とかで見たことあるシーンだ。

まだまだ、一家になんでもある時代じゃないし。僕が中学の時に家が建て替えられて、生まれた時の家は昔の長屋みたいな作りの家だったんだけど、中学生の時に建替えて。その頃からものすごい変わっていった。

そうなんですね。

中学の時に建て替えた時だって冷蔵庫は氷の冷蔵庫だからね。
電気じゃない。木のボックスで。

あぁー!
なんかこう、博物館の展示品みたいなもので見たことありますね。

周りは全部ブリキで囲われてて。上に氷入れるんですよ。ブロックの氷を入れて。下に冷やしたいものを入れとくっていう。

それはやっぱり氷屋さんが街を周ってて、氷を切り出してみたいな?

そう、持ってくるんです。

うわぁ、すごいな。あれほんとにのこぎりで切るんですか?

そうそう。

きれいに切れるんですね?

切れる。

すごい(笑)。

そんな時代ですよ。古いね、そうやって考えると(笑)。

歴史ですね。

参考サイト:昭和の冷蔵庫

僕、テレビが来たのって覚えてますよ。家に。わが家にテレビが来たっていうのは強烈だった。

それは何歳くらいの頃ですか?

小学生の時だね。何歳だったかって覚えてないんだけど、うちに鯉のぼりがあって。鯉のぼりを立てる、竿があったんです、結構高いやつ。で、なぜかそれが突然立ち始めて「何すんのかな?」と。そこにテレビアンテナが立って。高いところに。

その最初のテレビは白黒ですか?

白黒ダイヤル。ナショナルのカチカチするやつ。

テレビが来たのはご近所さんの中では早い方だったんですか?

早いほうだね。うち、親父がサラリーマンだったから。街頭テレビもなんとなく記憶がある。小学校の校庭で見た記憶があるな。

すごいですね。完全にALWAYS 3丁目の夕日のあれだ。

まさにあの世代。

オート三輪ですか?

オート三輪。あの映画って昭和33年頃の話でしょ?ちょうど東京タワー作ってる時だから。

「東京タワー作ってる時だから」っていう単語、言葉がすごいですね(笑)。

僕、東京タワーで迷子になったことあるんでね、初めて行ったとき(笑)。

すごいでしょうね。東京タワーを立ててる時を知ってる人達からしたら「ついに東京タワーができた!」ってみんな一回は東京に行って。

みんな行くね。迷子になって泣いた覚えがある。気が付いたら周りに知らない人ばっかりになっちゃて。

そうやって考えると不思議ですね。ふだん、普通に会ってお話しする時に、オート三輪を経験してきてる方だとは思わないじゃないですか。

オート三輪の古いやつはバイク方式で、ハンドルが。そのあと丸いハンドルになるの。

平井さんのところの車は?

うちは車買ってないですね。親父は鉄道会社いたんですけど、車は買わなくても必要なときに会社から借りてくるので。

そうなんですね。

うん。うちは持ってなくてもどっか出かける時はたぶん会社から借りて来てて。箱根登山で働いてたから。

平井さんのお父さんは鉄道会社で働いていて、お母さんは主婦?

そう。

平井さん、ご兄弟いらっしゃるんですか?

弟が1人います。男2人。 2才違い。

ちょうど一緒に遊んだり、喧嘩したりする年の差だ。

ああ、よく泣かしてた…。近所はみんな男ばっかりだった。周り近所の子供はみんな男しかいなかった。女の子がいなくて。

そうなんですね(笑)。

記憶に無いな。近所では無い。組内みたいなところでは、一人か二人くらいいたのかな。当然一緒に遊ばないので男ばっかりで兵隊ごっことかしてた。

へぇー、兵隊ごっこ?

年が分かるよね(笑)。

兵隊ごっこってどうやるんですか?

命令するんです。年上が。 反対兵隊っていうのがあるんだよ。 「○○やってこい」っていうとやっちゃいけなくて 。

逆のことをするんですね。

そうそう。

あれなんですかね?やっぱり、がき大将みたいな人がいるんですか?

はい、もう年上はみんな当然。

当然(笑)。

序列が決まっていて。

へぇ。
平井さんって小学校の時はクラスの中で人気者タイプだったんですか?

じゃないですね。

はじっこの方にいたり?

はじでもない。目立つかというと目立つわけではない。 普通だね 。

「えっ、君なんかいたっけ?」って言われるタイプじゃないです。当然いるのは分かってるけど。小学校の時はほとんどソフトボールやってたんで。4年、5年、6年はずっと。あの頃、ソフトボールものすごい盛んだったんで。

野球じゃないんですね?

ソフトボール。地区ごとに全部、何区何区ってチームがあったんで。その対抗戦とかもあったし。

へぇー。

それから小学校代表になって、小田原市内の小学校対抗のソフトボール大会があったりけっこう盛んだったんだよね。まぁ、今のサッカーみたいなものだったんだよね。

その頃はやっぱり監督とか怖いんですか?

地域ごとにいるんで、好きなおじさんたちが。ムキになって、子供以上にムキになってやる(笑)。

あぁ、なんか想像できます(笑)。
勉強とかどうでしたか?好きでしたか?

あんまり好きも嫌いも無いね。それ以上に遊ぶ方ばっかしだよね。

習い事とかはしてましたか?

あぁ、うちはお袋が教育ママだったんで。私の性格を分かってんだか、分かってないんだか知らないけど。やたらとやらされたね。まぁ、小さい頃ってあんまり記憶にないんだけど、塾に行かされたり。

意外ですね。

まぁ、それもね、今みたいにまとまった塾みたいなものではなくて。家庭教師だよね。家庭教師探してきて無理くりやらされて。あとは、叔父がバイオリンん弾きをやっていて。

バイオリン弾き?

バイオリン。うちのおやじの兄弟の一番末っ子が東京に養子に出されて、その人が音大に行ってドイツに留学したんですよ。大学終わった時に。そのまま日本に帰ってこないんですけど。ドイツにいて。

まぁ、その家がたまたま子供がいなかったんで。うちの親父の兄弟がみんな男ばっかしで「一人くれ」って言われて連れていかれて。それっきりずっと今でもドイツにいるんですけど。そんな影響で俺もバイオリン習わされて。

兵隊遊びとか、ソフトボールの話を聞いていて、いわゆるわんぱくな感じの少年時代をイメージしてたんですけど、バイオリンってなると一気にこう「おっ?」と。

そういうこともやらされてきた(笑)。

続かないですよ。 国府津まで通ってた覚えがあるんだよね。バイオリンはその叔父さんがお下がりをくれて。

平井さん的にはバイオリン楽しかったんですか?

楽しくない。

やらされてる感じですか?

やらされてる。

(笑)

きらきら星くらい弾いた覚えはある。

性に合って無いよね(笑)。まぁ、いま思えばもうちょっとやってりゃ良かったと思わないわけじゃないけど。

小さい頃はそういうの難しいですよね。

うん、続けるのはね。

お母さんが教育熱心だったのは、お母さんがちゃんと勉強してきた方だからなんですかね?

そういうわけではないですね。 ただ、多大な期待をもっていたので。長男坊。だからこんなことやってるだけでびっくしてたよね。

喫茶店ですか?

そう。普通にサラリーマンになると思ってたんじゃない?それは言ってた。何年か経ったあとに「こんなことするとは思ってなかった、意外だった」って。

僕ね、小学校の時に吃音があったんですよ、かなり。小学校、中学校、ほんとに国語の教科書読めなくて。

あっ、そうなんですか?

一言も出てこない。

それは普通の会話の時は大丈夫だったんですか?

会話の時もやっぱりどもりましたね。
今みたいにこんなにちゃんと喋れない。気持が焦ると。

今は全然分からないですね。それはいつまで続いたんですか?

分からないけど、なんか高校に行って治ったですよ。ある程度。
歌を唄って。また変な話になってる。高校行ってフォークソングやってたんですよ。

はい。

歌を唄ってたらなんかそれがだんだん直ってきたんですよ。

あぁ。最近、TEDというところで、吃音の方が話している動画を見たんですけど、小さい頃から吃音で困っていて、特に人前で喋るとかが全然できない人で。その方が、音楽と出会って自分が変わったみたいな話をしていたのを思い出しました。

TED動画:なぜ人前で話す恐怖の中で生き続けるのか

一緒かもしれない。

自分で喋ろうとするとどもったり引っかかったりしちゃうんですけど、歌にした途端に…

歌はね、どもらないんですよ。

そう言ってました。

僕もねそれ、途中で気がついたんですよ。あぁ、歌はどもらないなって。ちゃんと頭から出せるんですよ。不思議なんだけど、ある時気づいて。

不思議ですね。

小学校の頃、赤面症で授業で指されたりすると頭に血がのぼっちゃって、顔が真っ赤になって言葉が出てこない、みたいなことがあったという記憶はものすごいある。ものすごいコンプレックスで自分の中にあって。

そいうのって、小さい頃からかわれたりするじゃないですか?

と思うでしょ。あの頃良い時代だよね。それがないんだよね。

そうなんですね?

それをこう、笑われたりとかイジメられたって記憶は一切ない。ほとんど教科書読めてないんだけど。でも、その話を同級生にするとみんな「記憶に無い」って言うんだよね。「えぇ、そうだったっけ?」とかって言ってて。

だからあの頃は良い時代だったんだよね(笑)。 まぁ自分のことだからね、覚えてるけど。 他人のことはあんまり覚えてないよね。

自分が思っているよりも周りはあんまり気にしてないんですね。

まぁ、いろんなのがいたらかね、僕の時代は。食えない家だとか、粗暴な奴だとかいろんな。今みたいな時代じゃないから、家庭事情がいろいろ複雑なのもいて。

そうですよね。ある程度みんな同じくらいになると、ちょっとした違いが際立ってきたりして。

いじめっ子っていうのはいるんですよ。今と違って、女の子からかったりとかちょっといたずらしたりとか。粗暴なやつってのがいたんだよ。悪ガキみたいな。スカートとめっくってみたり。

それをなんとなく男が守るみたいなのが(笑)。

今みたいに陰湿ないじめなんてまずない。なんでだろうね?
やっぱり情報なのかね。今の時代、いろんなものが入り過ぎちゃって。

そうなのかもしれませんね。

ありがとうございます。なんとなく平井さんの子供時代のイメージが沸きました。次は、高校生とかもう少し大きくなった頃のお話を聞かせて下さい。


お話しを伺った感想を少しだけ:
実は平井さんにお話しを伺ったのはもう2年前。仕事が忙しいのを言い訳にずっと手を付けられていなかったのですが「このママではダメだな…!」と久しぶりにインタビュー音源を聞きながらテープ起こしをしています。

クラウドファンディングで800万円を集めて長崎から小田原へ路面電車を運んできたり、Address小田原の管理人をしたりと、60代とは信じられないくらい勢力的に活動をしている平井さんが「東京オリンピックは小学校5年の頃だった」と話しているのを聞いていると、なんだか不思議な気持ちがしてきます。時代に合わせて変化し続けられる人って素敵ですね。

次回の青年期編もいろいろと貴重なお話を伺ったのでお楽しみに!

平井さんインタビュー、次回は「青年期編」へと続きます。(7月中に公開予定)